特集:そうだ、あの人に会いに行こう。 file:26 “12”homemade・土屋 潤さん
思う存分 メガネトークがしてみたい!
そうだ、あの人に会いに行こう。
業界人と思う存分“メガネトーク”を楽しむインタビュー連載です。
メガネ作りのすべての作業を独りで行う「“12”homemade」の土屋 潤さん。
マニュファクチュールを極めたメガネ職人の素顔に迫ります!
file : 26 | “12”homemade 土屋 潤さん
メガネ専門学校からメガネ屋に勤務して
なぜか出版社で中古車情報誌の営業を。
ここ最近、ハンドメイドやオーダーメイドのアイウェアに触れる機会が多いのですが、そのなかでいちばんグッと来たのが“12”homemade(トゥエルブ ホームメイド)です。飴細工のようにトロットロなアセテートの質感や、ボリュームと存在感があるレンズシェイプ。ヴィンテージのような味わいがあり、それでいて既製品のようにパーツの精度が高い。しかも価格が3万円強とコスパが凄くいいんです!
最近では槇原敬之さんも愛用している“12”homemadeですが、デザインから生地の切削、磨きなど、メガネ作りのほぼ全ての作業を職人である土屋 潤さんひとりで行っていると聞き、ガゼン興味をもったわけです。そんなわけで工房がある愛知県清須市まで行って来ました。
そもそも土屋さんがメガネ業界に入った経緯とは?
「高校卒業後に地元で4年生の専門学校に入ろうと思ったときに、たまたま近くにキクチ眼鏡専門学校があったんです。メガネに興味はなかったんですけど、自分の目が強度乱視だったこともあり、だんだん視力を補正することにのめり込んでいって。卒業後、地元で5店舗くらい展開するメガネ屋で働きました。でも、やっぱつまんないんですよねー。見るメガネはオヤジっぽいのばっかりだし……。結局、2年でそこを辞めて出版社に転職したんです」
え、そこから出版社に行くんですか。何系の出版社に?
「もう会社はなくなっちゃったんですけど。クルマ雑誌の『Goo(グー)』ってあるじゃないですか。昔は『中古車情報』っていう名前で、そのライバル関係にある『中古車ガイド』っていうのをつくっている名古屋の会社でした」
いわゆる中古車情報誌ですね。90年代にお世話になりました。
「そこで営業をやっていて、1ページ単位で広告を売るんです。自分で営業に行ってレイアウトの打ち合わせをしたり、写真を撮ったり、なんでもやっていました。で、当時『カーセンサー』の広告が、東京で1ページ50万円だって噂を聞いて、名古屋は相場が1ページ10万円でやってたんで。当然、『俺たちも東京進出だ!』 ってなって、川崎に事務所ができたんです(笑)」
東京じゃないし(笑)。
「川崎で事務所探しから立ち上げまで全部やって、まぁ楽しかったんですけど、古い体質の会社なので仕事環境は……」
当時なら超絶ブラックですよね。まぁ、いまもブラックな業界ですけど。
「はっはっは。自分はそのテンションでずっと仕事を続けることができないなと。独立したバイク屋さんとかに話を聞いて、自分でなにができるかなって考えたときに、『あっ、俺メガネ屋やりたかったんだ』って気づいたんです」
そこでメガネに戻るとは、なんか不思議なパターンですね。
「ただ、営業のときもロイドさんやグローブスペックスさんなど、東京のメガネ屋をまわっていました。でもメガネ屋って“待ちの商売”でしょう。立地の勝負にもなるし、その苦労を考えたくなかった。だから、自分で営業ができるツールをもとうと思ったんです。そうそう!(パシンと手を叩く)。ロイドさんに行ったときに999.9(フォーナインズ)の[E-10]っていうフレームを見たんですよ。こんなメガネがあるんだ、この質感が好きだなと思って、自分でメガネをつくりたいと思ったんです」
鯖江のプラ枠工場で修行!
でも思ってたのと違う……。
出版社の営業を経て、自分のアイウェアブランドを作りたいと思ったわけですが、そこからは?
「鯖江でプラ枠をやっている工場を見つけて、5年間修行させてくださいっておしかけたんです。ただ、僕が想像してた職人さんとはちょっと違って……。メガネ職人って全部自分でメガネを作れると思っていたんです」
あ〜、話の展開が読めてきましたよ。福井県鯖江市は日本最大のメガネ産地ですが、メガネの製造方法は『分業制』が主流。だから、鯖江の工場で働いても全体の作業はできなかったと。それはフラストレーションが溜まりますよね。パテシィエになりたいと代官山の有名店で修行したら、ケーキはぜんぶ外注だった! みたいな」
「ち、ちょっと違いますけど、大筋としてはそんなところです。その後、別の工場にうつりました。社長がサンプルを作って提案する会社で、シリンダとか自作しちゃうんです。そこで工具のつくり方から磨きまで、1から10までメガネ作りを教わりました。昼は量産のメガネ作りを学び、仕事が終わった夜に、自分のメガネをつくるという生活を続けていましたが、1本でも多く自分のやりたいメガネをつくった方が良いと思い、地元に帰ってブランドを立ち上げることにしたんです」
手作業の感覚で丁寧につくる
月産40本のハンドメイドフレーム。
土屋さんが自身のブランド、「“12”homemade」を始動したのが2004年。前から聞きたかったんですが、ブランド名にはどんな意味が?
「苦しいときや思うようにいかないこともあるじゃないですか、そういうときに初心を忘れないために、初心とかスタート地点っていうか。時計の文字盤でいうと12ってスタート地点でしょ」
いい話じゃないですか。なぜオフィシャルサイトに載せないんですか?
「恥ずかしいじゃないですか。そういう俺は俺はっていうの(笑)」
いやいや、むしろドヤ顔で。ではメガネ作りやブランドを続けていくうえで大切にしていることは?
「昔からあるベーシックなメガネのつくり方を極めたいと思っています。僕ね、流しの作業がキライなんです。昔、工場で働いているときも流し作業でルーズにやっちゃう人がいたんですよ。そういうのが許せない。できあがったメガネが丁寧につくられていることがわかるようなものをつくりたいですね」
でも、ひとりですべての作業を丁寧にやると時間がかかりますよね?
「はい。月産で40本程度が限界ですね。でも、会社じゃなくてひとりでやってるので、飯食っていけるレベルでかまわないんですよ」
じゃあ、人気が出てもっとオーダーが入ったら? 弟子を雇ったり、外に出したりします?
「その場合は……待ってもらいます(笑)。量産で対応するって発想がないので、人を雇う気はないですね」
土屋さんは自分のペースで自分の納得するメガネをつくりたいんでしょうね。そのこだわりがフレームにしっかりと現れている。ちなみにお店やユーザーからはどんな声が?
「意外だったのが、みなさんしっかりとメガネを見てくださっていて、『掛け心地がいい』って言ってくれるんです。テンプルには厚さ6㎜のアセテート生地を使うことが多いんですが、先端のしのみ部分を立体的に丸く削っています。できればちょっと重くしたいので、先端は4㎜まで削って、後は6㎜を残したい。6㎜を4㎜に削って、ここからもう一度0.5㎜ずつ内側を削る。結果3.5㎜残る形状にしています」
なるほど、手の感覚で確認しながらミリ単位で細く丸くしていくから、分厚い生地を使っても掛け心地がいいんですね。
「昔は柔らかくして弾力性を出したかったので、こめかみの部分を薄く削っていましたが、今は手にしたときの高級感を重視してわざと太くしています。重さって大事だと思うんですよ。ガッシリ感とか。時計のベルトとかチャラチャラしているよりも重いほうがいいでしょう」
確かに万年筆も手にしたときにズッシリ感があるほうが、いいもの使ってるなって気になりますね。
「ライバルは工場」です。
自分の土俵で勝負していきたい。
最後に、土屋さんがいま気になっているブランドはありますか?
「外山さんかな(YUICHI TOYAMA.のデザイナー)。3年くらい前から雰囲気が変わってきて、最近、凄くカッコいいメガネをつくっていらっしゃるじゃないですか。数年前に村井さん(福井に本社があるメガネ企画会社)にいたデザイナー3人が退社して、同時にブランドをつくったでしょう。やっぱりあの3人はメガネのデザインをする力がある人で、職業としてデザイナーをやってきた人だと思いますね。僕の場合はメガネをつくる工程のなかにデザインがある」
それは面白い視点ですね。確かに彼らはデザインが始点になってモノ作りがありますが、土屋さんはデザインの後にあるモノ作りそのものに重きを置いている。出自によってまったく表現は違いますね。
「そうかもしれませんね。たとえば、僕のメガネはアイコンがないので有名人が掛けてもわかりません。でも、丸山さん(MASAHIRO MARUYAMAのデザイナー)のメガネはカシメ鋲がアシンメトリーになっていて、そのアイデアひとつで自分のアイコンをつくったところが上手いと思いました。デザインでちゃんと飯を食ってた人が独立したブランドってすげえなって関心しますね」
いいんですか? そんなに他のブランドを褒めちゃって(笑)。
「いや、しいて言うなら、僕の“ライバルは工場”なんですよ。工場の人たちが見たときに、『いい仕事しているな』って思わせるものをつくりたい。そのために、これからも僕は自分の土俵で勝負していくつもりです」
インタビューを終えて。
愛知県の工房で、たった独りで誰とも群れることなく、自分のメガネを作り続ける精神力ってすげえなと思いました。とても丁寧できめ細やかなモノづくりをしていて、その分こだわりもあり、たとえ損をしても自分を通す人なんだろうなーと思いました。